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書こうか書くまいか散々迷ったが、書くことにする。
・・・7月13日、22時20分過ぎ頃、父方の祖母が亡くなった。
90歳だった。
お通夜が16日、告別式が17日となった。
・・・正直連絡もらったときは耳を疑った。
あと10年は大丈夫と思うくらい元気な姿しか思いつかないからだ。
最後に会ったのは去年の夏、ちょうど1年前くらいだった。
その後、ぶどうを贈ったときに電話で話したのがおばあちゃんとの最後の会話だった。
・・・社会人になると同時に家出したりしてバツが悪くなってから、正直あまりおばあちゃんの家に出入りしなくなっていた。
正月の親族の集まりだって、いっつも仕事理由に逃げ出していた。
別におばあちゃんが嫌いだったわけじゃない、ただ、周りのいとこ達と比べて出来が悪い自分に自信がなかっただけ。
・・・でも結婚して、ある意味まっとうな生活者となった(と勝手に思っている)今となっては、場所こそ遠いし、正月とかは無理だけど、なるべく年一度くらいは顔出しに行こうと思っていた。
そんな矢先の出来事にしばらく言葉がなかった・・・。
いま山梨に嫁いだ自分だが、おばあちゃんの実家(田舎)も山梨であるということはずっと聞いていた。
見知らぬ親戚もたくさんいるのもわかっていたから、その親戚とも自分がこっちにきたことでまた顔見世するチャンスもあろうとおもっていた。
・・・皮肉にもそれがかなったのはおばあちゃんのお通夜とお葬式のときだ。
おばあちゃんが最後に引き合わせてくれたとも考えられるが、私としてはおばあちゃんが生きてるうちに、いとこが車でおばあちゃんを田舎に連れてきてくれたときに現地で対面したかった。・・・これ本音。
でも仕方ない。おばあちゃんはおじいちゃんの待つ場所へ旅立っていってしまったのだから。
最後に、おばあちゃん、ホントにおばあちゃん孝行ができなかった孫でごめんね。できれば敏夫くん(弟)の嫁さん見るまでは生きてて欲しかった。
オシャレで地元の人から慕われていたおばあちゃん、おばあちゃんは本当に自慢のおばあちゃんだったよ。
おじいちゃんと仲良く楽しくいつまでもすごしてね。